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▼駄文 第2回 牛丼!牛丼!牛丼!

  プロフィールにも書いて話は重複してしまうが、私は牛丼が大好きである(どんなプロフィールだ)。なかんずく「たつ屋」のものが一番好きだ。どの位好きかと言えば、3食の内2食を毎日「たつ屋」の牛丼にして、それを半年や1年続けても大丈夫なくらいなのだ(実証済み)。とはいえ一大チェーンを形成する「吉野家」と比べれば格段にその知名度は低く、チェーン店でありながらどこにチェーン店が存在するのかもわからず、驚くべきことにインターネットですらその所在を確認できない不条理な牛丼店なのである。
 私がその店の存在を知ったのは、今から遡ること26年前、高校2年生の頃の話だ。
 当時私は、高校時代のバンド仲間が神田に住んでいることもあって、その界隈でパチンコをしたり、詳しくは書かないが、まあロクなことはしていなかった。そして神田界隈には「あづま屋」「吉野家」「たつ屋」という3軒の牛丼店があり、どの店に行くかで友人と年中白熱した議論を展開していた。しかし結局「吉野家」派か「あづま屋」「たつ屋」派に分かれるだけで、意見は平行線をたどり、最後はみんなバラバラに食べに行くという異常事態に発展した。そんな状況を重く見た私たちは、もう一人の友人に公平な立場での厳密なジャッジを依頼することになった。どの店が本当にベストなのか、その回答によって、やっと憂鬱で不毛な論議に終止符が打たれる、と誰もが思っていたのだ。
 そして、その友人に今までの経緯をできるだけ詳しく話し、現在いかに深刻な事態を招いているかを説明した。しかし、彼は暫くの沈黙の後、ため息まじりにこう言った。
「どっちでもいいじゃん」

 そんなことをしているうちに私も大学受験を迎えることになった。勉強はしない、出席日数ギリギリ、オマケに停学経歴まである出来損ないの私が己の能力も省みずに慶応理工学部など超一流校を受験するも、まあ当たり前の話だが、すべて落ちた。その後、とりあえず浪人することになり、神田界隈の予備校に通うこととなったのである。
この時、朝昼の食事をすべて「あづま屋」と「たつ屋」の牛丼にして1年間暮らした。その結果が今の体型になったのであれば面白すぎるが、別段そういうことはなく、とにかく本当に他の食べ物が目に入らないほどハマっていたのだ。

 その後大学もなんとか受かり、神田に行くこともなくなってしまった。そのかわり、ものすごい勢いで全国展開している「吉野家」に通うことになった。むろん「吉野家」もおいしいのだが、どこか心の片隅で「あづま屋」や「たつ屋」の味を思い返していた。
 やがて時代は、居酒屋である「養老の滝」が牛丼を始めたり、渋谷に「松屋」というみそ汁タダの店ができたりと、華やかな牛丼バブルの時を迎えた。そして、またしても牛丼論争が勃発するのだが、私はそれに参加しなかった。なぜなら、そこで「たつ屋」などと言っても誰も知らないし、ましてや2軒しかない「あづま屋」に至っては神田に行かなければ絶対知る由もないからである。
 また、多くの友人はさんざんパチンコなどでスったあげく、お金がないからといって、並牛丼をおかずにご飯を食べただとか、ご飯だけとって紅生姜で食べただの、牛丼店において本来あるべき姿をまるで無視した著しくローレベルな実態が明らかになり、なおさら議論などする気にならなかったのだ。
 そんな友人はさておき、私は現在の様子をリサーチすべく、というか、ただ単に食べたかっただけなのだが、1人で神田に出かけた。すると驚くべきことに「あづま屋」はなくなっており、天丼だったかカツ丼だったか、とにかく知らない店になっていた。ひどくショックを受けながら私はフラフラと白山通りの方に「たつ屋」を目指して歩き始めた。そして「たつ屋」が現存しているのを確認すると何だかえらくホッとして、大盛り牛皿にビール2本、おしんこ、みそ汁、そして大盛り牛丼(特盛りはなかった)という店員さんも呆れる無謀なオーダーをし、それをいとおしくもむさぼり食べたものである。しかし、くどいようだが、それが現在の体型を作ったわけではない。

 さて、そんな「たつ屋」が今どうなっているかというと、数年前まで赤坂にもあったが、現在は東銀座の店しか知らない。ここは銀座方面に行くと必ず寄る店で、今でも時々車で買いに行く所だ。
 もしこれを読んで興味があれば一度行かれることをお勧めしたいが、過度に期待をしないでいただきたい。なにしろ、ウチの事務所でも騒いでいるのは私だけみたいだから・・・。


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